2019年5月24日
私は京王線沿線のとある駅から歩いて1時間ほどの団地の11階にいた
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山田花子という漫画家をご存知だろうか。
彼女は1980年代から90年代前半に主に「ガロ 」で活躍した漫画家で、学生時代にいじめにあった経験や社会や人間関係の中で感じる孤独や矛盾をもとに人生のうまくいかなさを皮肉めきながらも面白おかしくキュートに描いた漫画家である。
彼女の漫画に出てくるキャラクターはいう
「自殺って悪いことだけど、私、もう生きていたくない!」
彼女は1992年3月に精神分裂病と診断され同年の5月24日、幼少期に家族と過ごした団地の11階から投身自殺。本当に自ら24歳という短い命を断ってしまった。
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私と山田花子との出会いは大学時代、友人が彼女の漫画を貸してくれたことから始まる。
集団行動の中で孤独を感じがちな私はすぐに彼女の漫画に惹かれた。
なおかつ私は基本的にこじらせていて、好きになった作品から非常に影響を受けやすく、彼女の漫画を読んでからは心のどこかで
「死ぬことは悪いことだけど
何か辛いことがあったら
彼女の漫画の登場人物や彼女のように死んじゃえば良いんだ!
人生なんてどうせくだらないんだし」
と思うようになっていた。
しかしそれはネガティヴな気持ちじゃなくて、いたってポジティブな気持ちで、死いう名の"絶対的な救済措置"を見つけて「どんなに辛くても悲しくても生きていかなければならないプレッシャー」から彼女の漫画を読んで解放された気持ちになったのだと思う。
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そんな漠然とした生きていきたくなさを心の中に持ち続けるも死ぬ勇気もないまま社会人2年目に突入したある日、彼女の漫画を教えてくれた友人と一緒に彼女が飛び降り自殺をした団地へ行ってみることになった。
日付は彼女の命日、5月24日。
肝試しとかそういうつもりじゃなくてお墓参りに行くみたいな感覚で、でもそれともなんか違くて、お見舞いに行くみたいな感覚で、死んでしまっていることは充分承知の上で、会ったことのない彼女に会いに行ってみようと思ったのだった。
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1992年当時「団地11階からの飛び降り自殺」とニュースになっていたこともあってか、ネットで調べたらその団地の住所はすぐ特定することができた。
当日、新宿駅で集合した我々は京王線に乗り込み、その団地へと向かった。
新宿から急行で数分、その団地の最寄り駅は利用者もそこまで多くなく、今まで降りたことのない静かな駅だった。
駅から少し歩いて山を登る。
道中には多くの団地が立ち並んでいて、たくさん人が住んでいるはずなのに、恐ろしいくらい静かで不気味で怖かった。
そんな団地地帯から少し離れた山の上、その団地はあった。
なんの変哲もないどこにでもありそうなその団地。
…いけないことだとはわかりながらも
私たちはその団地の11階に行ってみることにした。
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エレベーターに乗り、11階にあがる。
到着すると彼女が飛び降りたであろう場所にはお札がはってあった。
…本当にここから飛び降りたんだと身震いしながらもあたりを見渡す。
彼女が死ぬ直前、最後に見たであろう景色はとても綺麗だった。
団地が山の上に建っているということもあり見晴らしも良く、そこからは街中を見渡すことができた。
謎の美しさを感じてしまったと同時に11階という高さを目の当たりにしてここから飛び降りることの恐怖を思い知った。
私たちは合掌し、その場を立ち去った。
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もう漫画の中でしか会うことのできない山田花子
彼女を求めて彼女が飛び降り自殺をした団地へ訪れた結果、実体はないが、彼女は私にとても大事なことを教えてくれた。
私は非常に影響を受けやすい
山田花子に対しても共感できることしかないように感じていた。
しかし、私には彼女と同じように11階から飛び降りる勇気はなかった。
「どんなに辛くても悲しくても生きていかなければならないプレッシャー」
よりも 「11階から飛び降りる」ことは何億倍も恐ろしいことであった。
死が絶対的な救済措置であることは確かかもしれないが、自分にはその選択はできないと思った。
彼女が飛び降りた現場に行ってみて初めて、彼女が感じてきたそして描いてきた闇の深さを知ることができた。と同時に、自分自身の想像力の至らなさを痛感した。
私は近くにあった公園のベンチでその団地を見上げて不思議と生きようと思っていた。
そしてこれからの人生においてもし飛び降りちゃいたくなった時は今日のことを思い出そうと思った。
今はこの日のおかげでくだらない人生をずかずかと生きていられている。
彼女は私に絶望と希望を教えてくれた漫画家だと思う。
多分、私は2019年5月24日山田花子に会えたのだ。
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